賽の河原で待ち合わせ

死ぬまで、女をやる予定

まさかの今更、分娩レポ

無痛分娩レポです。長いです。

メモ帳に残っていたので、ご興味ある方は読んでいただけたら嬉しいです。生々しいので苦手な方はやめてください。

もう一年以上前のことなんて驚愕。そういえば麻酔チューブ入ってた背骨の間みたいなとこが未だになんかちょっと痛いんですけど、これは治らないんですかね。メンタルか?

 


予定日当日

数日前からおしるしと思われる出血があり、今日こそ!という気持ちで朝から検診へ行く。子宮口は2センチ程度でまだ固いが、お腹の張りに痛みも伴っているようだし、胎児の予想体重も3000超なので今日の午後から入院しましょうと言ってもらえる。たぶん普通分娩だったらまだまだなんだろう。明日の朝から陣痛促進剤を点滴し夕方で一旦打ち切り、明後日の朝からより強い陣痛促進剤を投与し、その日の午後に出産という流れだそう。明日中に産めると思っていたのでそんなに甘くないんだなと思う。仕事中のオットにLINEで連絡。一旦帰宅し、各実家にも連絡。最後の入浴をキメて、タクシーで再度病院へ。荷ほどき後、看護師さんに点滴の針を入れてもらう。痛い。え、これでずっと過ごすの?痛い。下手では?部屋で一人そわそわと落ち着かないでいると、そのうち処置室に呼ばれる。麻酔医の先生に背中に麻酔用チューブを入れてもらう。絶対に動かないぞ!と意気込んで挑んだが反射的に腰が動いてしまい、素早く注意される。仕事を終えたオットと面会し、安心して泣く。面会時間ギリギリだったため30分くらいでオットが帰ってしまい、悲しくてまた泣く。体の各所が地味に痛むし、大変心細い夜。イソップのトラベルセットを持ってきていてよかった。リップクリームや化粧水を使うたび、いい香りでほんの少し心がほぐれる。部屋に入ってきた助産師さんにいいにおーいと言ってもらえる。ほとんど眠れず朝を迎える。

 


予定日超過1日目

朝7時からブドウ糖点滴、その後陣痛促進剤の投与開始。痛みの感覚は結構まばら。7分くらい?ブログやツイッターでいろんな人の麻酔分娩レポを読んだが、大抵の人たちが子宮口開く為のバルーン入れる処置をしていたけど、そういうのはないんだなあと思う。陣痛を進めるために、廊下をスクワット歩きすることを勧められる。事前に同意していたため助産師資格取得の勉強中である学生さんが一人ついてくれる。彼女が廊下を一緒に歩いてくれ、足湯やふくらはぎのマッサージもしてくれた。痛い痛いと嘆くわたしを励まし、関係ない話をして気分を紛らわせ、陣痛がきたときは上手に腰をさすってくれた。大変にありがたく、ひたすらお礼を言っていた。この学生さんが優秀な成績を収められますように。昼頃にオットが来てくれて、顔を見て安堵する。オットも一緒に廊下を歩き腰をさすってくれるが、位置や力が、そうじゃないの!となるので、もっと下!強く!などと言っていたら萎縮していた。こちらとしてはお願いしてるつもりなのだが、痛いときにズレたところをさわさわ撫でられると、ついカッ!と般若みたいな顔で威嚇してしまう。その後学生さんに撫で方を習い、修得してくれた。実母からのLINEと着信が鳴り止まず、勘弁してくれよと思いながら全て無視。オットに対応を頼む。そもそもスマホの画面の光が無理で産んだ翌日まで一切携帯を見られなかった。リアルタイムで陣痛実況してる人、本当すごいなと思う。夕方には疲れでフラフラ。17時頃内診してもらうと、子宮口はまだ4センチ弱とのこと。ウケる。みんなこれ自宅待機してるレベルじゃん。一旦点滴を切り、今日は夕食を食べて明日に備えることに。まだ4センチにも満たないというのに、本当によく頑張ったね偉かったね明日は産めるよと先生が労ってくれるので、ありがたくて涙が滲む。今までこの先生のことを、年齢あんまり変わらないだろうに人を子供扱いするように話すから苦手だなあと思っていたのを、本当にごめんなさいと思った。針が刺さったままの手がクリームパンのように浮腫み、痛くて箸が握れない。点滴を切ったことで陣痛は徐々に遠のくが、前駆陣痛か?深夜に約10分間隔の痛みがきてやはりなかなか眠れず。だけど前日とは違いオットが病室に泊まってくれて、すごく心強かった。

 


予定日超過2日目

前日と同様に朝から点滴開始。前日より痛みが強く、ろくに運動できない。学生さんが足湯マッサージをしてくれる。優雅すぎて気分はセレブ。痛みの間隔は3-4分になり、腰をさすられるだけでは物足りず、拳で腰骨らへんを強く押してもらう。前かがみになるピンクの変な形の椅子に跨がり、呻きながら息を吐き痛みを逃す。助産師さんたちに、痛みが強くなったらすぐ麻酔始まるから!そしたら痛くないから!と励まされる。そっか、まだ痛み強くないのか、やべえな。もともと妊娠後期はもう毎日毎日苦しくて睡眠不足で体力なくなってるのに、今度は陣痛で気力体力を削られすぎて、これから産むとか無理やろとすっかり弱気に。

昼前の内診で、破水させて麻酔を開始しようと言ってもらえる。看護師さんたちによく頑張ったねと労われる。麻酔開始からしばらくするとお腹が張っていく感覚はあるけれど、痛みは感じないという不思議な状態に。うおー!痛くない!痛くないです!!!!うおーーー!!!!とテンションが爆上がる。痛みがなくなったとたん、俄然やる気が湧いてくる。おっしゃー!産むぞ!産める!と、突然強気。我ながら現金だなと笑ってしまい、オットにも笑われる。麻酔がなければこの期に及んで談笑なぞありえないだろうから、麻酔は神。和やかに1時間半程時間が経過して、また内診。子宮口全開とのこと。マジか、麻酔すごい。が、全く痛みがない状態ではお産の進みが悪くなるので麻酔を少し止めますと言われて怯える。促進剤はマックス。

先生にこれから2時間以内に産めるよ〜と言われ、終わりが見えてやる気が出る。まったくの無痛からすこーし痛みが戻ってきたかな?という程度に。生理が重いタイプなので、これなら生理痛のほうが断然痛い。1時間半後くらいにまた内診。髪の毛出てるよ!と言われてウケる。ウケれるくらいに痛くない。分娩室に車椅子で移動。自分の感覚の腹の張りのピークとグラフのピークがちゃんと合っていたので、そこに合わせていきむ。目を閉じないように必死。イメトレ通り。みんなが上手上手とめちゃ褒めてくれる。先生の指示で腹の上に助産師さんが乗ってきた。馬乗りになった大の大人が尋常じゃない力で腹を押してくる。うわ、マジか。いや聞いてはいたが、そんな馬鹿力で全体重かけて他人が腹に乗ってガンガンに押してくることある????いやこれ大丈夫?現代の医療行為???あああああああああああ

で、産まれました。

 

 

 

吸引なしでした。痛みの確認をされたけど、いきむ時もほとんど痛くなかったと言うとすごく麻酔の効きがいいタイプだと言われた。この時が痛すぎて全然無痛じゃない!と怒る人も結構いるらしい。よかった、痛くなくて。会陰切開もしたけれど、麻酔のおかげで切る時縫う時共に全く痛くなかった。

 

むすめを見せに看護師さんが枕元に抱っこしてきてくれるんですが、デカすぎて本当引いた。いや、3188グラムだったので巨大児とかじゃないんですが、わたしの体との割合がね。こんなの出てきたの?そりゃ無茶でしょってなって、かわいいとか感動とかより先にデカさに引いてしまった。よく下から産めたなとドン引きしながら、安心感で号泣。

その後は血圧が20とか聞いたことないとこまで下がり、血が止まらず腹に注射を6本も刺されて、全然もう1ミリも動けなくて死ぬかと思ったし、麻酔切れたあとは股の痛みで絶叫したし、後陣痛が数週間続いてそれも辛かったです。下半身がズタズタってこういうことかってなった。自分的には大事故なんだけど、これは至ってスムーズにうまいこといったお産らしい。マジか〜

あとは恨言になりますが、退院前日にオットに病室に泊まってくれと頼み込んだのに断られたことを根に持っています。連日気が立ってて体が辛いのに寝れなくて、でも最終日は夜間も通しで母子同室で過ごさなきゃって思ってて、どうしてもそばにいて欲しかったのに断られたのが本当に悲しかった。その後助産師さんがオットを説得してくれて、結局は泊まってくれたのでよかったんですけど。仕事しんどいだろうし病室に泊まるのはきついだろうけど、わかるけど、これは本当にね快諾して欲しかった。オットは育休を二週間取得してくれて、夜の授乳もオムツ替えも全部一緒にやってくれて、本当に心底この人がパートナーでよかったって思ってるわたしだけど、それでも、あれは根に持ってるし、もしもあのまま泊まってくれてなかったら、オットに対する不信感がやばかっただろうなと思います。関係が破綻して、今のような家族にはなれなかった可能性も普通にあると思う。

全パートナーの方は産後、どうかできる限りそばにいて、心身ともに満身創痍で不安定な母体を気遣い、子育てをゼロから一緒にする努力をしてほしいと思います。これから出産を迎える方々に少しでも参考になれば幸いです。

 

最後にスケールの大きなことを言いますが、この世に生まれるすべての命が祝福され、その命を授かった全ての親たちが支えられることを、心からめっちゃくちゃ祈っています。

顔とか髪とか

先日、結婚式を挙げて3年が経ちました。オットと、今日結婚式挙げた日じゃん!あれ?2年前だっけ?あれ?とか言っていたら、3年前でした。

 


挙式時は夫婦揃って大変多忙だったので、全部まるっとセットになっている挙式プランで申し込んだ。引き出物や装花、ヘアメイクやペーパーアイテムなども一括してホテルで頼むプランで、とにかく楽だがそれぞれをオシャレなところに外注してこだわることができず、Instagramのキラキラ花嫁たちとはえらい違いの雑さで挑んだ。クラシックホテルでの挙式だったため、よく言えばクラシカル、悪く言えば野暮ったい箇所もあり、一番懸念していたのはヘアメイクだった。

 


わたしは肌も汚いしメイクも下手くそで、化粧品もスキンケアも眉の書き方もアイシャドウの塗り方も正解がいまだにわからない。デパートの化粧品売り場はずっと苦手だ。そんなわたしなので結婚式のヘアメイクリハーサルでとんちんかんなヘアメイクをされたときにも、あれ?これおかしくない?と思いはしたものの、自分の感覚を信じていいのか自信が持てなかった。初めに希望はひととおり伝えていて、相手はプロなんだから、プロのすることが正解なのでは?という思いが強過ぎて、自分の意見を言うことが出来なかった。鏡の中の自分を睨みつけながら、なんかおかしい…古臭い…色がおかしい…おばさんみたい…でも…でも…と暗澹とした気持ちになっていった。

 


思い返せば、成人式の前撮りの時のヘアメイクもこんな感じだった。全然希望に沿ったものにならず、当時の写真は一度も見返していない。ダメだ、あれを繰り返してはいけない。プロのメイクが映えないのは自分が不美人だからかもしれない。それならそれで構わない。わたしは30年、わたしの顔で生きてきているのだ。彼女たちはヘアメイクのプロではあるが、わたしの顔に関してはわたしのほうが扱ってきた歴が長いのだから、自分の感覚を信じなきゃダメだ!と己を鼓舞した。写真を見ながら、具体的にどこがおかしいのか検討していった。

 


まず、髪型は具体的な写真を見せるべきたと判断し、希望に近い写真を探した。アイブロウと眉マスカラの色が赤みの強い茶で絶妙に似合ってなかったので、普段使っていたアッシュ系のを用意した。赤リップを希望してシャネルのものを塗ってもらっていたがこれまたピンク味の強い赤が絶妙に似合っておらず、百貨店のコスメカウンターに勇気を出して赴き、ちゃんと数本タッチアップしてもらって決めたものを持参。ちなみにBurberryのもの。思い出のリップなのに、ブランドが日本撤退してしまったので寂しい。それから、アイシャドウもベースのパール感がまた絶妙に似合っておらず…こちらも新たに購入して持参した。当日の朝、ヘアメイクさんたちに写真を見せ、これらを使用してお願いします!と依頼をして、なんとか、納得のいく頭と顔で式を挙げることができた。なので、本当に、マジのマジで、自分の感覚を信じることは大切。なんかちょっとおかしいかなと思ったら、ちゃんと言わなきゃダメなんだなと、めちゃくちゃ当たり前のことを痛感した。

 


持ち込み不可だったブーケや装花、ウエディングケーキももっとオシャレにしたかった!という気持ちがなくはないが、ヘアメイクについては絶対に、あの時言わなかったら大袈裟でなく死ぬまで後悔していただろうと思うので、本当に言ってよかったです。あと、レンタルドレス屋さんでも、手袋は必須と強めに言われたので負けて購入してしまったけど、当日はつけませんでした。似合わなかったので。プロの言うことに従うべきこともあるだろうけど、我を通してよかった。

これから結婚式を控えている、自分を信じることが苦手な方にめっちゃ言いたいです。相手はプロだしとか、美人じゃないから化粧のこととか言えないとか、わたし化粧下手だしとか、相手はプロだしとか、いろいろ思っちゃうけど、大丈夫です。むしろ相手はプロだからこそ、ちゃんと依頼して大丈夫です。がんばってください。誰も読んでないかもしれないけど、言いたい。

 

さて先月、美容院でカットパーマを施してもらってきた。いまだに微妙に納得がいっていない。テレビ電話をした実母からは、子持ちのおばさんみたいと評された。たしかに、わたしは今子持ちのおばさんじゃないわけではないんですけど、酷い響きだと思った。だけど美容院を出るとき、わたしはニコニコして出てきてしまった。なんかちょっとおかしいかもな?と思ったけれど、どこがどうおかしいのかわからなかったから。その瞬間に、咄嗟に、どこがどう嫌なのかを判断して伝えるのって、やっぱり難易度が高い。帰宅後、こんな風にしてくださいと見せた写真と鏡を見比べて、たぶん、耳の辺りと襟足に変に長さを残されてしまったから中途半端な印象でやや野暮ったくなってしまっているのではないかと思った。わかんないけど。

 

出掛けもしないのに、それから何日間か毎日ヘアセットをして化粧をして、家で研究してみた。パーマをなるべく伸ばすようにオイル多めでウエットにセットして、メイクはカラーマスカラなんか使ってみたりコンサバにならないように意識してみたら、おばさん感が薄れたように思う。たぶんだけど。美容院はだいたい3回に1回は気に入らない頭になるし、もう33歳なのに、年に1回は気に入らなすぎて美容院帰りにガチで泣く。ころころ髪型を変えすぎるのも問題なのかもしれない。まあ今回は泣いてないし、自分結構偉いなと思っている。もうしょうがないんでこの顔とかこの髪とかを、極力いい感じに納得できるようにがんばって生きていきたいと思ってます。大人なので。

おっぱいの愚痴のすべて

母乳がつらいということを、むちゃくちゃ長く書きました。書きなぐっているのでちゃんとした文章になってないです。ただ、書きなぐってスッキリしました。

 


母乳に対してのこだわりはまったくなかった。

そしてなぜか、自分は絶対に母乳が出ないだろうなと変に確信していた。それがえらく見当外れで、産んで三日後にはピューピューと噴出するほど母乳が出た。本当に、人生はいつも思ってたんと違う。

 


そもそも母乳がこわい。

だってほぼ血液でしょ?あの液体。それを飲ませて人を育てるということが冷静に考えてこわい。こんなこと言うと怒られそうだけど、グロくないですか?出産時の出血も多量だったし、妊娠中からずっと貧血だった。鉄剤を処方されてて、視界がチカチカするのに母乳なんか出ないだろうと思っていた。なのに、出た。

母乳に対してのこだわりはまったくなかったが、母乳を出すための努力を怠っていると怒られたくないという気持ちはあった。怒られたくないってつくづく自分本位で、赤ちゃんのことなんて何にも考えてないんだけど、本当に正直なところそう思っていた。誰に怒られるんだよとお思いでしょうが、世間様とか、親とか、病院とかからです。愚かなので本気でそう思っていて、だから妊娠37週から乳頭マッサージを毎日したし、入院中も痛みを堪えてミルクの前に必ず乳首をくわえさせた。

 


たしかに、初乳はできることなら飲ませてあげたいと思っていた。そしてそこはクリアしたのだから、もうミルクでいってもいいんじゃないか。だけど、病院で「ちゃんとおっぱい出てるから!よかったね!母乳でやっていけるよ!夜間だけ母乳のあとにミルクを足して、母乳メインでいこう!自信もって!」と励まされて、いえ!ミルクをもっと増やしたいんです!とグイグイ主張することができなかった。それにしても自信持ってってなんだよ。別にわたしの成果じゃないじゃん、運じゃん。

 


実母も義母も、わたしの顔を見るととりあえず母乳の話をする。絶対に母乳じゃなきゃね!母乳以外ありえない!と言われるわけではない。

ただ、母乳が出てよかったね、母乳がよく出る食べものはアレとコレよ、わたしも母乳が足りないのかしら?と悩んで相談に行ったのよ、母乳を出すためのマッサージに行ったのよ、こんなものを食べるようにして母乳を出したのよ、ミルクを足さなくてもよくなったの?よかったね、母乳が足りるようになったのね、泣いてるわね母乳が欲しいんじゃない?、機嫌がいいわね母乳が足りてるのね、などなど

悪気はないのはわかっている。ただいつも母乳の話をされるだけ。わたしの顔を見ると、その話題しか思いつかないのかもしれない。

 


睡眠不足がピークのとき、赤ちゃんが5時間程ぶっ続けで寝てくれて、とてもありがたい夜があった。翌日、おっぱいが張りすぎて8度2分の熱が出た。頭が割れそうに痛く、おっぱいは岩のようにカンカン、痛い痛い痛い痛い。だけど赤ちゃんと2人きりで病院にも行けない。あの日のことはちょっと記憶にないくらい辛かった。オットの帰りを待ちながらひたすら号泣していた。赤ちゃんもわたしの腕の中でギャンギャンと泣き叫んでいた。

 


それ以降、乳腺炎がものすごくこわい。だからおっぱいが張りすぎないように、定期的に赤ちゃんに吸ってもらわなくてはいけない。しかし、吸ってもらうとどんどん母乳が作られる。抜け出せないループ。もはや罠だと思う。

 


痛みはどうやら4種類ある。吸われる時の乳首の痛み、吸われていないときの乳首の痛み、お乳が作られるときの痛み、お乳が溜まっておっぱいが張ってしまう痛み。つまりだいたい常に痛い。吸わせても痛いし吸わせなくても痛い。そして夜間授乳のせいで眠い。常に痛くて眠いので、1日のうち86パーセントくらいおっぱいのことを考えている。

 


妊娠中に読んだ育児関連の文章には、授乳間隔は約3時間だと書いてあった。わたしは、なるほど3時間は赤ちゃんが寝てくれて自分もその間に眠れるのだろうと思っていたが、実際は違った。

授乳開始時間から次の授乳開始時間までだいたい3時間。ただし母乳の場合は1時間半から2時間おきのこともめずらしくない。片乳10分10分で授乳をするのだが、だからといってこれが20分で終わるわけではない。赤ちゃんが吸いやすいように乳頭をマッサージし、げっぷをさせながら吸わせ、うまく吸えなかったり途中で寝落ちしそうなところを起こしながら飲ませるので、両乳を飲むのに40分くらいかかる。それから前後にオムツを替えると約1時間かかる。そして寝かしつけがスムーズに出来たとして30分。そこから1時間程で起きて泣き出し、次の授乳をする。赤ちゃんから離れられない。

 

オットの帰宅後、次の授乳まで1時間あるからとオットに赤ちゃんを託してお風呂に入っても、出たときにはギャン泣きの赤ちゃんを抱えたオットが「おっぱい欲しいね〜」とあやしている。オットは何も悪くないのだが、赤ちゃんを泣かせてお風呂に入っていた自分が責められているように感じる。だって次の授乳まで1時間あったから入ったのに、1時間あったのに、こんなに泣いていてかわいそう、オットもこんなに泣かれ続けて大変だろうと思う。全裸で泣けてくる。一刻も早く乳を提供するために、大急ぎでパジャマを着なくてはならない。なんで?1時間あったのに。なんで?ああ、おっぱいが張って痛い。かわいそうに。赤ちゃんの泣き声に反応して、おっぱいから乳が噴出し、弧を描き、床を濡らす。

 


おっぱいが張るので横を向いて寝られない。授乳しようとすると赤ちゃんの顔に母乳が噴出する。赤ちゃんの顔の肌荒れの原因になっているのではないかと心配になる。ベッドも服も下着も母乳だらけ。おっぱいを飲ませているとき、気分が悪くなる。ディーマーというらしい。少しずつ症状が軽くなってはいるが、最初の頃はとくに気持ちがチーンとなっていた。乳首を吸われるとゾワゾワ?ザワザワ?背中の内側のあたりに不快感?不安感?焦燥感?がざわめく。スマホで何か文章を読むと少し気が紛れるので、今も授乳しながら何かを読むようにしている。変に喉が乾く。肩が尋常じゃなく凝る。そのせいで頭も痛い。でも頭痛薬を気軽に飲むことが憚られる。赤ちゃんから離れられない。常に次の授乳時間を気にしている。

 


おっぱいを吸ってもらわないとまた乳腺炎になってしまうかもしれない。搾乳というのはどうだろうと調べると、搾乳もやり方を間違えると乳腺炎を悪化させると書いてある。こわくて「搾乳やり方」でググってみたところ仕事や重要な用事でどうしても赤ちゃんのそばを離れなければならないときは搾乳しましょうと書いてある。どうしてものときじゃないと、搾乳してはいけないのだろうか?というかミルクはダメなのだろうか?

 

 

 

助産師さんに相談しても、せっかく母乳が出ているのにミルクを増やしたいのか?頑張ってみたほうがいい、安易にミルクを増やすとおっぱいの出が悪くなってしまうと言われる。母乳頑張っててえらいですね!と励まされる。では、母乳を頑張らないとえらくないのだろうか。というか、ミルクでの子育ては頑張ってないことになるのだろうか。

 


母乳で育てたいと強く望んでいても、母乳が出ないことに苦しんでいる人もたくさんいることはもちろん知っている。だから母乳が出ることはありがたいことなんだと、そうですよねと思う。思うけれど、それと今わたしがつらいことは関係ないはずだ。調べてみても、ミルクでも母乳でも関係なく、ちゃんと子は育つということがわかる。それなのに自分も、みんなのいうことを無視してわたしは辛いからミルクにします!と決断することが、ものすごく憚られる。

 

わたしのまわりは完全ミルクで育てている人がほとんどいないのもあって、みんなが頑張ってできていることなのに、わたしだけ出来ないって言うのは頑張りが足りないってことだよなと自分を責める声が聞こえる。ミルクに移行してもしも赤ちゃんが太ってしまったら、ミルクだからだと批判されるんじゃないかと思う。ミルクに移行したらスキンシップが減ってしまうのではないだろうか。もっと頑張るべきだろうか。3ヶ月まで頑張れば母乳が軌道にのると書いてある。そこまで頑張るべきだろうか。もちろん乳首を咥える我が子はめちゃくちゃ愛おしい。可愛い。これが見れなくなるのが、全く寂しくないわけじゃない。でも、母乳がつらい。母乳に全てを支配されている。つらい。おわかりだろう、だいぶ追い詰められているんですよ、これが。

 

 

 

オットはかなり早い段階から完全ミルクへの移行を勧めてくれていたのに、わたしが決断できなかった。だけど、もう決めました。キッカケとかないです。もうね、つらいからやめる。それでいい。乳腺炎がこわいけれど、気をつけてどうにか少しずつ移行していこう。今すぐにじゃないけど。決めた、決めたぞー。決めたら、決めただけで一気に気持ちが楽になった。決めた。決めました。決めましたよ!!!!!やめます!!!!よっし!!!!!!!おりゃ!!

近況

元気です。もう久しく更新してないから、なにを書けばいいかわからない。

2018年も明けてすでに2ヶ月。だいぶ板についてきた感じあるよね。書けるもん、サラッと2018年って。一瞬躊躇うこともあるけど、平成のほうはむしろ30ってキリいいから、いい感じにサラッと書ける。平成もそろそろ終わるらしいけれど、先日、新しい年号もう羽生でいいじゃんっていうツイートを見て笑った。でもHだからダメなんじゃん?結弦のほうにしたら?

 

1月、ハネムーンに行きました。べつに二人とも海が好きなわけでもないし、てかわたしに至っては泳げないし、ずっとギリシャに憧れてたんだけど、休みを取れる時期が1月に限られていたので、その時期にハイシーズンでハネムーンっぽいとこ!っていう縛りでモルディブに決めて、行きました。インスタで見てたまんまの景色で、笑ってしまった。あちこちで日本人の女の子がウエディングドレス着て写真撮ってた。真っ黒に日焼けしたし、朝からシャンパン飲んで昼寝して過ごしてたし、魚と一緒に泳いだりもしました。満点の星空を見上げながらテラスで飲んだり、サンセットクルージングしながらシャンパン飲んだり、とにかくずっと飲んでました。持って行った本は4冊。サガンの「悲しみよ、こんにちは」まあ、リゾートだしこれは持っていくよねって感じで。あとは読んだことのないやつにしました。江國香織さんの「ヤモリ、カエル、シジミチョウ」坂元裕二さんの「往復書簡 初恋と不倫」光浦靖子さんの「お前より私のほうが繊細だぞ!」

とにかくフライトが長くて、焼けるし、もう二度と行きたくないけど、ずっとオットと一緒にいられて面白かったし、嬉しかったし、楽しかった。帰りには羽田で、羽田離婚するぞ!って騒いだけどな。

 

光浦靖子さんの「お前より私のほうが繊細だぞ!」は本当に面白いです。飛行機のなかでヒャッヒャッ言いながら笑って、帰りにはオットに読ませたんだけどオットもヒャッヒャッ言って笑ってた。矢作が持ってるんだから、間違いない。もう本当に最高に笑えるから読んでほしい。

いい人だと思われたい。幸せになりたい。でも、幸せでいい人な女性って面白くなくない?結婚して子供を産んだ女芸人の落とし所は旦那が抱いてくれない!とかの自虐が妥当じゃないかというようなくだりは結構悲しい気持ちになった。そうだよなあと、しみじみ思う。不幸というコンテンツは面白いんだよなあ。幸せというコンテンツは別に面白くはないんだよなあ。他人の不幸は蜜の味というけれど、己の不幸もまあまあ甘い。そんなことを、ドバイあたりの上空で思っていた。

 

2月。仕事を辞めて、ニートな日々です。何もしてない。掃除と洗濯とたまに料理をするくらいで、マジで何もしてない。寒くて家からでるのが億劫なので、今週なんてオットとオットのご両親とスーパーの店員さんくらいとしか喋ってない。家と義実家とスーパーしか行ってない。

ピョンチャンオリンピックをみている。ピョンチャンってどこだよと思ったら韓国だって。可愛くないですかピョンチャンって。間抜けなかんじでかわいい。

フィギュアスケートは凄かったですね。羽生くん、アレは羽生くんじゃなければ痛くてとてもじゃないけど見れないと思うんですけど、羽生くんは羽生くんなので、すべてが素晴らしい。そして宇野くん。宇野くんもすべてが素晴らしい。かわいすぎる。オットも宇野くんの演技見てないくせにインタビューはめっちゃ見て笑ってた。わかる。カーリングを義実家で見ていたんだけど義父が「これは実は一点差で負け続けることが重要で、最後に後攻であることが鍵で、勝つというより負けないようにするゲームなんだなあ〜」と言っていて可愛かった。なるほど。勝つというより、負けない。わたしは基本的に負けまくる。その日、義両親とダイヤモンドゲームをしたんだけど当然のようにボロ負けだった。ボードゲームやテレビゲームの類で、他人に勝てた記憶がない。

 

昨日、カレーを作った。モルディブで買ってきた謎のカレースパイスを使って、せっかくモルディブだしシーフードカレーかなと思って、カニとかイカとか魚を入れて作った。カレーは作ってる途中でああ〜〜コレは不味いかもしれない。取り返しがつかない不味さかもしれない。味がない。シーフードカレーなるものは初めて作ったのだが、やはり羊肉や鶏肉のように肉類が入ってないとここまで味に深みが欠けるのか?てか味なくない?とかなり焦ったが、冷蔵庫の中のオマール海老のトマトソースという謎のソースを見つけ、スパイスと一緒に炒めて謎のルーを作りだし、追加して煮詰めると光が射した。見えてきた。そして、最終的にはとても美味しいカレーが出来たので、わたしは勝った!と思った。

 

アンナチュラルというドラマにハマっている。めちゃんこかわいい。まずキャストが最高。石原さとみさんと市川実日子さんがひたすらかわいい。バイクの窪田正孝かっこいいし、丸眼鏡の松重豊、モジャモジャ頭の井浦新とまたもや刑事役大倉孝二というピンポンコンビ。飯尾(ずん)とかめっちゃずるい。石原さとみさんのティファニーのスマイルネックレスダイヤver.というのも適度にミーハーなかんじでとてもよい。先週のセリーヌのカバの配色も超かわいかった。欲しい。このドラマ、本当に何もかもが今っぽいんですよね。この世にグレーがあることをちゃんと示している。なんていうか、ちゃんと表も裏もある。

 

先に出てきた、光浦靖子さんの「お前より私の方が繊細だぞ!」に、世の中は裏表がある人が好きだっていう内容があって。わたしは思ったことを結構そのまま言うところがあって、最近は大人になったからそこまでじゃないけど、例えば何かのお誘いに対して「行きたくないから行きません」じゃなくて「体調が悪いから行きません」とか、ちゃんと言えるようになった。昔は嘘をつくのが嫌すぎたんだけど、まあ結果は同じなんだから嫌な思いして嘘ついたほうがいいんだなってわかってきた。子供だったのです。

 

ツイッターでバズることって、いわゆる身も蓋もないことだったりする。先日見かけたツイートは、出産はめっちゃ痛いし育児はめっちゃ辛いけど赤ちゃんの可愛さで相殺されるっていうのは嘘。出産の痛みも育児の辛さもそれはそれ。赤ちゃんがめっちゃかわいいのもそれはそれ。というような内容だったんだけど、これとか典型的に身も蓋もない話だと思う。当たり前なことだけど、でも、表にはみんな出産の痛みも育児の辛さも、赤ちゃんの可愛さで吹っ飛ぶ!みたいな表の主張があるじゃないですか。

 

難しいことで、この建前とか表が全部まるきり嘘ってわけじゃないと思う。ただ、それだけじゃないよねっていう風潮が今っぽいんじゃないかなーと思う。

 

こうなると、カルテットのアリスちゃんのシーンも思い出さずにはいられない。「それ言ったら、人間関係ってどれもズボン履いてるけどノーパンみたいなことじゃないですか」のやつ。このシーンは彼氏のケータイを見るか否かみたいな、バレなければ浮気はOKか否かみたいね流れなんですけど、「バレなかったらしてもいいって、ズボン履いてるけどノーパンみたいなことですよね?」とすずめちゃんが言うんですよ。「気持ち悪いじゃないですか」って。

 

アリスちゃんが畳み掛ける「この世で一番な内緒話って正義はたいてい負けるってことでしょ?夢はたいていかなわない。努力はたいてい報われないし、愛はたいてい消えるってことでしょう?」というシーン。これを見るとつらくなる。ああ、身も蓋もないことだけが素晴らしいわけじゃないなあ。大人は秘密を守るので。建前も大事。

 

だけど、バレなければ浮気じゃないっていうのは、レジの人いなかったらお金払わないみたいなことだと思うんですよ。わたしはそんなだっせーことする男は無理だなあって話を昨日オットとお風呂に入るときにした。なんの流れだったのか忘れたけど。

 

身も蓋もないことだけど、その真実に救われる場合もある。身も蓋もない残酷さに傷つくときもある。裏もあるし表もあるよね。どちらも嘘じゃないし、善悪白黒つけられないよね。そういうもんだよねっていう、今っぽさ。でも誠実でありたいよねって気持ち。とりあえず、アンナチュラル、面白いです。

 

こうやってテレビのことばかり話してると、カルテットの松たか子さんとクドカンのセリフがオーバーラップする。「彼が退屈しないように楽しいテレビの話を沢山したんです」「彼女の世界は狭いから、僕が聞いてやらなきゃ」

 

あと、最近はオットと二人で「僕のヤバイ妻」をアマゾンプライムで観てます。こちらはめちゃコメディでウケる。木村佳乃さんが演技うまくて痺れる。

 

 

最後に、モルディブで浮かぶわたしです。

泳げないので。 

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本当にただの日記

日記を書きます。

 

 

日曜日。起きるとオットはすでに起床しており、ブログを更新したとのこと。ベッドマットレスを買いに行く予定だったので、身支度を整え、お出掛け。オットが自宅の出発予定時刻を明確に提示してくれることに感激する。「11時半出発です」計画的でわかりやすくて、素晴らしい。VERY妻っぽい服装。インドカレーランチ。隣の席のアパレル店員の会話と男子大学生の会話に気を取られる。三種類のカレーのうち、ホウレンソウのカレーが予想外な味で美味しかった。ナンが多く、残す。ホワイトデニムは無傷。化粧品売り場で、クレンジングだけ買おうと思っていたはずが、オットがトイレに行っていたので、ついつい口紅をタッチアップ。青味がかったけたたましいピンク色が、最近の「けたたましいピンク色の何かが欲しい!」という欲求とピタリと一致したため、勢いで購入。服や靴を買うよりずっと経済的であり、自画自賛。気持ちが華やぐ。ベッドマットレスも無事購入。結婚指輪が大きいため、ストッパーとして使える細い細いリングを買ってもらう。ホワイトデーである。嬉しい。それなのにその後、プラプラと歩いているうちに突然オットに因縁をつけてしまう。とりあえず怒るものの、己の左手の薬指が可愛いのを見て、機嫌を直すことを決める。オットからヤクザだと非難される。ヤクザであることを認める。スーパーに寄って餃子の具材を買い揃え、帰宅。帰宅後原稿を直す。気づけば2時間経っていたので無理やりひと段落させ、餃子を作る。とりあえずチューハイの缶をあけるところからスタート。2人でキッチンに立ち、交互に具材を刻んだ。包み方は断然、オットほうが丁寧で上手い。わたしの包み方は良く言えばダイナミック。悪く言えば雑。普通に言えば具が多い。具が足りなくなるとボヤくオットを尻目に相変わらずダイナミックに包んでいたら、皮が2枚余った。オットが嘆くので、クリームチーズでも包めばと提案。焼く。最高の離婚を観ながら、ハイボールと餃子。最高の離婚は、綾野剛さんがドンドン気持ち悪くなる。オットの眉間に白髪の眉毛を見つけるものの抜き損ねた。50個完食。米粉入りの皮の方が美味しかった。お風呂の入浴剤は奥飛騨。「岐阜へ行こう」とオットが言った。終わり。

週末に、大好きな友人の結婚式がある

わたしは、彼女の23歳の時の失恋も25歳の時の失恋も、とっても近くで見てきた。うーん、まあ他の失恋は割愛ノーカウントでいいよね。

 

共にああでもないこうでもないと、相手の男のことを言葉を尽くして罵って、共に真新しい傷を見て泣いて、共に治りかけた傷が膿んだときにも泣いて、共に百万の合コンへ赴いた。

二人で東京大神宮で願掛けもしたし、占いにも行ったし、カラオケで広瀬香美を熱唱したり、お見合いの反省会もしたね。散々飲んで食べて、一緒にたくさんたくさん泣いて笑ったね。

 

恋の死を、その痛みを、歯食いしばって耐えて耐えて乗り越えている姿も見てきた。

幸せになろう!って一生懸命な姿も、ちゃんと見てきた。

 

わたしは、幸せなときに側にいる友達が本当に大切な友達だと思ってる。

辛いときに側にいるのは、そんなのは当たり前のことだから。どんなに力になってあげたくても、側にいることしかできなかったけど、でもわたしが辛いときに貴女が側にいてくれて救われたように、少しでも支えになれていたらと思う。

 

苗字が変わった貴女は、恥ずかしそうにはにかんでいてとてもとても可愛かった。左手の薬指のダイヤモンドは夏の夜の金星のように煌めいて、まるで貴女と貴女の愛する人との未来を照らしているようだった。愛する人を見つめる貴女は、優しくて咲きほころぶ花のように可憐で、今まで見た中で一番綺麗だった。

 

大好きな人の奥さんになったんだね。よかったね。本当に本当によかったね。

 

ウエディングドレス姿を思い浮かべるだけで涙がこみ上げてきて、今から式が不安だけれど、きっとお姫様みたいに可愛いんだろうな。お祝いできることが、すごくすごく嬉しいです。

 

 

 

やれやれ

人生に正解なんかない。幸せの基準も不幸の基準も人それぞれだと、

そんな当たり前なことは頭ではわかっている。

わかっていても、Facebookにあふれる、

ハワイのきらめく海をバックに美しくほほ笑むウエディングドレス姿の大学の同級生や、

幼稚園の入園式でベージュのスーツなんか着ちゃってる高校の同級生たちの人生と、

自分のそれをなんとなく比べてしまう。

 

他人の幸せを心から喜ぶ気持ちは、もちろんある。

それなのに親友の左手の薬指でダイヤモンドがきらめくたびに、

心の中で得体のしれない不安が、コトンと音を立てる。

 

何が怖いって、何も保証がないから怖いのだ。

人生の先行きの不安が原因で、一人ベッドで泣く夜が来るなんて知らなかった。

 

 

咳をしても一人

泣いても叫んでも一人

セフレがいてもデートの相手がいても、一人

 

寂しさはみるみる胸の内に膨らんで夜を飲み込み、

こんなはずじゃなかったと昔の恋愛を並べてみたり、自分を責めてみたりする。

あるいは、安易な安心に手を染めて、寂しさを誤魔化そうとする。

デートの相手がいるから、ハイスぺイケメンに言い寄られているから、ハイスぺイケメンとセックスできてるから、まだ大丈夫だと己を騙そうとする。

クズな彼氏でも、別れられなくて自ら不幸の水に浸かってしまう。

 

 

でも、寂しさを誤魔化すことは愚かだ。

 

 

いうなれば、寂しさは包丁だと思う。

いつもキッチンにあるし毎日扱っている調理器具だけど、時に凶器になる。

振り上げて体に突き立ててれば、死に至らせるほど殺傷能力の高い凶器だ。

自分に対しても、誰かに対しても。

 

でもだからと言って、包丁を怖がって料理をしないことがないように、

隠したナイフが似合わない僕をおどけた歌でなぐさめるように、

二時間ドラマよろしく包丁を持って騒ぎ立てるのはやめて、

おとなしくトマトでも切ろうじゃないかと、わたしは言いたい。

 

人は誰しも寂しい。

だから、それはそんなに恐れることじゃないはずだ。

恋人ができても、結婚しても、子供がいても、寂しい夜はある。

Facebookのポストがすべてじゃないなんて、そんなことはわかってる。

子供のころから寂しさはずっとそばにいたし、これからも死ぬまでそうだろう。

人はみんな寂しい。ずっと寂しい。

だから、寂しいことは極度に恐れなくていい。

だったら、誤魔化すなんて意味ない。

 

不安な夜は泣けばいいし、スクワットしてお風呂に入って、いい匂いのボディーミルクでも塗り込んで、泣き足りなければもう一度泣いて、寝ればいい。

誤魔化さずに、寂しさを認めてあげられたほうが、

己にとっての本当の幸せの輪郭もつかみやすくなると、わたしは思う。

 

かの有名なフレーズを拝借しよう。

寂しさは幸せの対極としてではなく、その一部として存在している。

そういうふうに考えてみるのは、どうだろうか。