賽の河原で待ち合わせ

死ぬまで、女をやる予定

下書きに残っていたので放出します

先日転職をしました。数字至上主義の営業職は、そこそこ売ってきた自分にとってそれなりにやり甲斐はあったけれど数字に追い詰められて朝から吐いてばっかりだったので、もうノルマのない国へ移りました。そこは年配女性たちがくだらない噂で騒ぐ狭い国で、楽しくはないけれど吐くこともなく、たまに知らない人から理不尽に怒鳴られます。全て想定の範囲内だけど、それでもなにかと新しい環境というものはストレスだらけで、わたしは今日も一歩も動けません。どうにか1日でもはやく、それなりになりたい。楽しく生きられるように、そのために、全て選択して生きているはずなので。

 

オットは昨今仕事が忙しいようで、毎晩遅くに帰ってきます。わたしの帰宅も早くはないし、新しい職場で色々参っているので家事もろくにできず、家がどんどん汚くなっています。今朝も、仕事に行くオットを見送るのがつらくて悲しくで声を上げて泣きました。オットは“本物の3歳児より3歳児らしいな”と言いながら、洗面所で髪をセットしていました。

 

春めいたといっても、それでも大概朝晩は冷えるし、日差しが暖かくても風は冷たいので、わたしはいつでも冬用のコートを着ている。三寒四温を嫌という程繰り出す日々で、今日はお決まりの菜種梅雨。春の冷たい雨は、メランコリックを誘います。そのうえ、この適応障害真っ只中のわたし。毎日発狂しています。

 

今日は休みの日だから、掃除と洗濯くらいはしなくちゃと思いながら、生きてるだけで偉いからとりあえずベッドの中で美味しいチョコレートを食べました。

3月9日

わたしが女子高生だった頃、レミオロメンがメジャーデビューした。朝顔というアルバムをMDという不思議な四角い薄ピンクのプラスチック板に焼いて、わたしは毎日放課後の無人駅で、アスファルトに腰掛けて足をプラプラ線路の上で揺らしながら、イヤフォンでそれを聴いていた。

 

大学生になったら、東京に出て恋をしようと決めていた。電話切れない夜やビールとプリンを並べるような夜を重ねる恋をしてやろうと決めていた。工場の排気が匂う、ちいさなちいさな明るい街で。

 

 

その後順調にわたしは大学生になり、レミオロメンは粉雪になった。ニコニコ動画が一世を風靡し、こなあああああああああああああああゆきいいいいいいいいいいいいいいいいいの弾幕が全世界に流れていたその頃、わたしは初めての恋をした。それから数年後、人生で二度目の失恋を経験することとなる。

 

人生二度目の失恋を、わたしはみくびっていた。前回の失恋があまりにも酷かったから、さすがにもうそれほど辛くないだろうと思っていたし、この人じゃないと思ったから別れを切り出したわけで、別にそんなに傷つくことじゃないと捉えていた。ぶっちゃけもっといい人がいるだろうし。実際、別れた翌日も普通にごはんを食べて、普通に会社に行けた。もちろん、会社の行き帰りは道すがらポロポロ涙が溢れたけれど、そのくらいどうってことないと思った。夜も眠れた。

 

 

 いつも通り定時で仕事を終え、会社を出てすぐにイヤフォンを耳に突っ込んで歩いていたら、シャッフル再生していたiPodから3月9日が流れた。それまで、ハイハイ売れ線の曲ね〜などと思っていた曲だ。この曲がヒットしたのち粉雪になってしまったレミオロメンとわたしの間には随分距離ができていたはずだ。

 

 

それが突然耳の中に流れ込んできて、品川駅の往来のど真ん中で、すべてがスローモーションになった。その場で蹲って涙が止まらなくなった。息もできなくなって、この世で頼れるものなどひとつもないと思った。ダメだ。このままここで蹲っていたら、体調を崩したと思われて気遣いの声をかけられてしまうし、会社の人に見られるかもしれないと思い、なんとか立ち上がって歩いて、歩いて。見上げた空は夕暮れで、染まったオレンジと水色に溶ける雲の白がマーブルで、美しかった。ああ、もう今のわたしにはこの空が綺麗だということも、差し入れのスイーツが美味しかったことも、御局様に理不尽なことで叱られて辛かったことも、単純なミスをしてしまった自分が悔しかったことも、お昼に食べたランチセットのおつりを間違えられたことも、友達と飲みに行って可愛い名前のカクテルを飲んだことも、伝える相手がいないのだとわかった。卵焼きが上手に焼けたから今度作ってあげたいと思う相手もいない。いつも行ってた近所の居酒屋さんにも、彼の地元の駅でももう降りることもない。

 

もっといいひとなんて、そりゃいくらでもいるだろう。完璧に理想的な人間なんてこの世に存在しない。別れというのは、死だ。もう二度と、息を吹き返すことはない。我々は二度と交わらないのだ。そんな当たり前のことを、わたしは実感としてわかっていなかった。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ごめんなさい。ありがとう。さようなら。ごめんなさい。ありがとう。ありがとう。

 

 

 

瞳を閉じればあなたが、瞼の裏にいることでどれほど強くなれたでしょう

 

 

瞼の裏にいてくれたひとを失って、悲しくないはずなんてない。失恋は恋の死だ。悲しくないはずない。悲しいのは正当な感情だ。悲しくて悲しくて悲しくて、寂しくて寂しくて嘆かわしい。そういうもんだとその時、品川駅でやっと理解した。それから何度かまた失恋をしたけれど、きちんと悲しみを受け止められるようになっていった。正しく嘆き悲しんで、恋の死を弔うことができるようになった。そのたび、そのたび恋の死は、無茶苦茶に悲しくて無茶苦茶につらかった。

 

 

わたしが結婚したかったのは、もう二度と失恋をしたくなかったからと、もう二度と恋を始めたくなかったからといっても過言ではないと思う。瞳を閉じればオットがいてくれるので、今日も今日とてわたしは元気。いつもありがとうございます。あなたにとってわたしも、そうでありたい。

 

 

近況

元気です。もう久しく更新してないから、なにを書けばいいかわからない。

2018年も明けてすでに2ヶ月。だいぶ板についてきた感じあるよね。書けるもん、サラッと2018年って。一瞬躊躇うこともあるけど、平成のほうはむしろ30ってキリいいから、いい感じにサラッと書ける。平成もそろそろ終わるらしいけれど、先日、新しい年号もう羽生でいいじゃんっていうツイートを見て笑った。でもHだからダメなんじゃん?結弦のほうにしたら?

 

1月、ハネムーンに行きました。べつに二人とも海が好きなわけでもないし、てかわたしに至っては泳げないし、ずっとギリシャに憧れてたんだけど、休みを取れる時期が1月に限られていたので、その時期にハイシーズンでハネムーンっぽいとこ!っていう縛りでモルディブに決めて、行きました。インスタで見てたまんまの景色で、笑ってしまった。あちこちで日本人の女の子がウエディングドレス着て写真撮ってた。真っ黒に日焼けしたし、朝からシャンパン飲んで昼寝して過ごしてたし、魚と一緒に泳いだりもしました。満点の星空を見上げながらテラスで飲んだり、サンセットクルージングしながらシャンパン飲んだり、とにかくずっと飲んでました。持って行った本は4冊。サガンの「悲しみよ、こんにちは」まあ、リゾートだしこれは持っていくよねって感じで。あとは読んだことのないやつにしました。江國香織さんの「ヤモリ、カエル、シジミチョウ」坂元裕二さんの「往復書簡 初恋と不倫」光浦靖子さんの「お前より私のほうが繊細だぞ!」

とにかくフライトが長くて、焼けるし、もう二度と行きたくないけど、ずっとオットと一緒にいられて面白かったし、嬉しかったし、楽しかった。帰りには羽田で、羽田離婚するぞ!って騒いだけどな。

 

光浦靖子さんの「お前より私のほうが繊細だぞ!」は本当に面白いです。飛行機のなかでヒャッヒャッ言いながら笑って、帰りにはオットに読ませたんだけどオットもヒャッヒャッ言って笑ってた。矢作が持ってるんだから、間違いない。もう本当に最高に笑えるから読んでほしい。

いい人だと思われたい。幸せになりたい。でも、幸せでいい人な女性って面白くなくない?結婚して子供を産んだ女芸人の落とし所は旦那が抱いてくれない!とかの自虐が妥当じゃないかというようなくだりは結構悲しい気持ちになった。そうだよなあと、しみじみ思う。不幸というコンテンツは面白いんだよなあ。幸せというコンテンツは別に面白くはないんだよなあ。他人の不幸は蜜の味というけれど、己の不幸もまあまあ甘い。そんなことを、ドバイあたりの上空で思っていた。

 

2月。仕事を辞めて、ニートな日々です。何もしてない。掃除と洗濯とたまに料理をするくらいで、マジで何もしてない。寒くて家からでるのが億劫なので、今週なんてオットとオットのご両親とスーパーの店員さんくらいとしか喋ってない。家と義実家とスーパーしか行ってない。

ピョンチャンオリンピックをみている。ピョンチャンってどこだよと思ったら韓国だって。可愛くないですかピョンチャンって。間抜けなかんじでかわいい。

フィギュアスケートは凄かったですね。羽生くん、アレは羽生くんじゃなければ痛くてとてもじゃないけど見れないと思うんですけど、羽生くんは羽生くんなので、すべてが素晴らしい。そして宇野くん。宇野くんもすべてが素晴らしい。かわいすぎる。オットも宇野くんの演技見てないくせにインタビューはめっちゃ見て笑ってた。わかる。カーリングを義実家で見ていたんだけど義父が「これは実は一点差で負け続けることが重要で、最後に後攻であることが鍵で、勝つというより負けないようにするゲームなんだなあ〜」と言っていて可愛かった。なるほど。勝つというより、負けない。わたしは基本的に負けまくる。その日、義両親とダイヤモンドゲームをしたんだけど当然のようにボロ負けだった。ボードゲームやテレビゲームの類で、他人に勝てた記憶がない。

 

昨日、カレーを作った。モルディブで買ってきた謎のカレースパイスを使って、せっかくモルディブだしシーフードカレーかなと思って、カニとかイカとか魚を入れて作った。カレーは作ってる途中でああ〜〜コレは不味いかもしれない。取り返しがつかない不味さかもしれない。味がない。シーフードカレーなるものは初めて作ったのだが、やはり羊肉や鶏肉のように肉類が入ってないとここまで味に深みが欠けるのか?てか味なくない?とかなり焦ったが、冷蔵庫の中のオマール海老のトマトソースという謎のソースを見つけ、スパイスと一緒に炒めて謎のルーを作りだし、追加して煮詰めると光が射した。見えてきた。そして、最終的にはとても美味しいカレーが出来たので、わたしは勝った!と思った。

 

アンナチュラルというドラマにハマっている。めちゃんこかわいい。まずキャストが最高。石原さとみさんと市川実日子さんがひたすらかわいい。バイクの窪田正孝かっこいいし、丸眼鏡の松重豊、モジャモジャ頭の井浦新とまたもや刑事役大倉孝二というピンポンコンビ。飯尾(ずん)とかめっちゃずるい。石原さとみさんのティファニーのスマイルネックレスダイヤver.というのも適度にミーハーなかんじでとてもよい。先週のセリーヌのカバの配色も超かわいかった。欲しい。このドラマ、本当に何もかもが今っぽいんですよね。この世にグレーがあることをちゃんと示している。なんていうか、ちゃんと表も裏もある。

 

先に出てきた、光浦靖子さんの「お前より私の方が繊細だぞ!」に、世の中は裏表がある人が好きだっていう内容があって。わたしは思ったことを結構そのまま言うところがあって、最近は大人になったからそこまでじゃないけど、例えば何かのお誘いに対して「行きたくないから行きません」じゃなくて「体調が悪いから行きません」とか、ちゃんと言えるようになった。昔は嘘をつくのが嫌すぎたんだけど、まあ結果は同じなんだから嫌な思いして嘘ついたほうがいいんだなってわかってきた。子供だったのです。

 

ツイッターでバズることって、いわゆる身も蓋もないことだったりする。先日見かけたツイートは、出産はめっちゃ痛いし育児はめっちゃ辛いけど赤ちゃんの可愛さで相殺されるっていうのは嘘。出産の痛みも育児の辛さもそれはそれ。赤ちゃんがめっちゃかわいいのもそれはそれ。というような内容だったんだけど、これとか典型的に身も蓋もない話だと思う。当たり前なことだけど、でも、表にはみんな出産の痛みも育児の辛さも、赤ちゃんの可愛さで吹っ飛ぶ!みたいな表の主張があるじゃないですか。

 

難しいことで、この建前とか表が全部まるきり嘘ってわけじゃないと思う。ただ、それだけじゃないよねっていう風潮が今っぽいんじゃないかなーと思う。

 

こうなると、カルテットのアリスちゃんのシーンも思い出さずにはいられない。「それ言ったら、人間関係ってどれもズボン履いてるけどノーパンみたいなことじゃないですか」のやつ。このシーンは彼氏のケータイを見るか否かみたいな、バレなければ浮気はOKか否かみたいね流れなんですけど、「バレなかったらしてもいいって、ズボン履いてるけどノーパンみたいなことですよね?」とすずめちゃんが言うんですよ。「気持ち悪いじゃないですか」って。

 

アリスちゃんが畳み掛ける「この世で一番な内緒話って正義はたいてい負けるってことでしょ?夢はたいていかなわない。努力はたいてい報われないし、愛はたいてい消えるってことでしょう?」というシーン。これを見るとつらくなる。ああ、身も蓋もないことだけが素晴らしいわけじゃないなあ。大人は秘密を守るので。建前も大事。

 

だけど、バレなければ浮気じゃないっていうのは、レジの人いなかったらお金払わないみたいなことだと思うんですよ。わたしはそんなだっせーことする男は無理だなあって話を昨日オットとお風呂に入るときにした。なんの流れだったのか忘れたけど。

 

身も蓋もないことだけど、その真実に救われる場合もある。身も蓋もない残酷さに傷つくときもある。裏もあるし表もあるよね。どちらも嘘じゃないし、善悪白黒つけられないよね。そういうもんだよねっていう、今っぽさ。でも誠実でありたいよねって気持ち。とりあえず、アンナチュラル、面白いです。

 

こうやってテレビのことばかり話してると、カルテットの松たか子さんとクドカンのセリフがオーバーラップする。「彼が退屈しないように楽しいテレビの話を沢山したんです」「彼女の世界は狭いから、僕が聞いてやらなきゃ」

 

あと、最近はオットと二人で「僕のヤバイ妻」をアマゾンプライムで観てます。こちらはめちゃコメディでウケる。木村佳乃さんが演技うまくて痺れる。

 

 

最後に、モルディブで浮かぶわたしです。

泳げないので。 

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ぼくはボーダーが着れない

実はわたしは、ボーダーの洋服を一枚も持っていない。

過去に持っていたこともない。なので、大好きなテレビドラマ「カルテット」での“特別な関係に見えてしまうボーダーかぶり”には激しく憧れた。ものすごく羨ましかった。わたしも、是非ボーダーを着たい。ボーダーの服を着て、高橋一生との特別な関係を疑われたい。

少し前にクローゼットの中の大規模な断捨離を実行したのだが、その際、断捨離のススメを説いた様々な文章を参考にした。どれも一様に最低限のオシャレ必須アイテムとしてボーダーのトップスを挙げていた。季節も流行も着用者の性別すらも問わない、大変便利なアイテムである。別に色柄物のお洋服が苦手なわけではなく、他の“服の模様代表格”であるストライプのシャツやチェックスカート、水玉模様のワンピースは所持している。ボーダーだけが、買えずじまいなのだ。欲しいのか、欲しくないのかと問われれば、欲しい。あの、例のボーダーのトップスが欲しい。それなのに、わたしは今日まで買うに至っておらず1人悶々と苦悩している。

 

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ご存知の通り、ボーダーを素敵に着こなす人は社会に溢れている。だがしかし、そもそもボーダーという柄自体が可愛いのかが、わたしには疑問である。確かに、着ている人を見て、ああ可愛いな素敵だなとは思う。でも、そもそもボーダーが可愛いとかオシャレとかって何なんだろうか。ボーダーって、要はシマシマですよね???めっちゃ目立ちますよね???道行くボーダーを着てる人を見て、素敵だなと思う。思うけども、それは果たして本当にボーダーという柄の魅力なのか?その人が着こなしているというだけなのか?それとも、色形素材やボーダー具合(ピッチとか線の質感とか)によるオシャレさなのか?それがわからなくて、とにかく不安になるのだ。なんなの?ボーダーって、どこがどういうおかげで、可愛くオシャレに見えるの???なんで??てか、あれは本当に可愛いのか???わからなくて不安になる。ボーダーを見れば見るほど混乱してくる。

そもそもだ。そもそも、わたしは、自分にボーダー柄があまり似合わないように感じている。Instagramの#ootdには、#ボーダーラブ、#やっぱりボーダーが好き、とハッシュタグでボーダーへの愛を示すライフスタイルが一般化しており、#ボーダー族、#ボーダーズ、などというグループや民族を名乗ることもどうやらメジャーなようだ。それだけ多くの人が着こなすことができるらしいボーダーなのに、自分に似合っているのかどうか、正直判断しかねる。

わたしは実に多くのお店でボーダートップスを手に取ってきた。そして、鏡の前でスカした顔して顎下に当ててきた。いかにも「まあね、ボーダーのトップスはたくさん持ってるんですけどね。。でもついつい買っちゃいますよね、ボーダー。」くらいの風を装って、鏡の前で当ててみる。でもその度に、これ似合ってるんですかね?正解なんですかね?慣れですかね?これ本当に可愛いんですかね??と、誰に問いかければいいのかわからず、困惑してしまう。困惑したまま、涼しい顔で「まあ、正直ボーダーは結構持ってるしな〜」風を装って、棚に戻すというのをもう何年繰り返しているのだろうか。

 

これだけ顎下に当て続けていると、わかってくることもある。ひとくちにボーダーと一括りにしても、小柄なわたしにはピッチ細めのボーダーのほうが似合うこと、白黒のコントラストには顔が負けがちなので、茶色やネイビー、あえての赤ボーダーのほうが似合う。また顔はやや面長なので、襟首が丸首だと首が短く見えて野暮ったくなるためボートネックのほうがよい。さらにコーディネートのことまで言及するなら、ボーダーのロンTにデニム、コンバースというサラッとした着こなしは、わたしにはかなり難易度が高い。そういうナチュラルな着こなしは、ナチュラルな美人や顔がオシャレ人に似合うのであって、わたしのように昭和顔で、かつ丹念なメイクを施してどうにかこうにか造形を作り込むタイプの人間にとってそのナチュラルコーデは、とてもミスマッチに感じる。わたしは足が短く、デニムを履くならヒールでバランスを取らないとみっともないし、ボーダーのロンTは体を華奢に見せてはくれない。むしろ逆だ。ややゆるめのシルエットを選び、抜け感を出す必要がある。また、地味になりすぎないよう、アクセサリーや鞄などの小物で遊ぶべきだろう。

 

ここまできて、おわかりだろうか。ここまで、こんなにも考えて考えてボーダーのトップスを選んで着るわたし、めちゃめちゃ恥ずかしくないですか!?!?!?なんていうか、なんか、もう、こんなにも悩むことがあるにもかかわらず、それでもあえてボーダーを着ることを選択する意義とは何なんだろうか?もうさ、別にボーダーじゃなくてもよくない?と思ってきてしまうのだ。

わたしは、何故そこまでしてシマシマ模様を着たいのだろうか。シマシマ模様そのものが、素晴らしく可愛いと思っているわけでもないのに。それならばボーダーを着たいという願望の起因は、「ボーダーを着ている側の人間であると、見る人に思われたい」ということなんじゃないか。それでは、ボーダーを着ているとということは、見る人に対し「わたしは、「ボーダーを着ている側の人間であると、見る人に思われたい」と思っています!と主張をしている行為」と紙一重ではないか。怖い。

 

 

ボーダーのトップスを販売しているお店も多過ぎる。どこで買えばいいのかわからない。ボーダーのトップスを取り扱うブランドの選択肢があまりに多過ぎて、その選択の仕方に人間性まで透けてしまいそうな気がしてならない。どこのどんなボーダーを選び取ることで、どんな自分に見られたいかを察されてしまうことが怖い。

例えば、王道のセントジェームズを選んだとする。そうすると、世間からわたしは、とりあえずセントジェームズのボーダーさえ着ていれば正解、オシャレであるとドヤ顔でセントジェームズのボーダートップスを選んだ女だと思われるんじゃないか?と不安になるのだ。あるいは、ハイハイ、セントジェームズ着ればオシャレだと思ってるわけ?お前ごときが?と思われそうで怖い。数あるボーダートップスのなかから、わざわざセントジェームズのボーダーを選んだという理由を勘繰られたくない。
それではもういっそ、無印良品はどうだろう。しかし今度は、無印良品のボーダートップスというナチュラルかつ、大変ポピュラーなアイテムを、わたしなら多くの他人よりもオシャレに可愛く素敵に着こなせるという過剰な自信の表れから、それを選択したと思われるのではないだろうか。
では、ベイクルーズグループのブランドで見繕うのはどうだ。いやいや、それはそれでオシャレ感が強くないですか?めちゃめちゃInstagramのオシャレな主婦を目指していることがバレバレじゃないですか???

 

そういうわけで、わたしはこの夏もボーダーのトップスを買えていない。だから、どうにかして秋にはボーダーデビューを果たしたいと思っている。しかしボーダーというのは、やはりマリンルックを彷彿とさせる。マリンとか言われてもわたしは一切泳げないし、クルージングディナーでさえ船酔いするようなマリン性の欠片もない人間であり、そんなわたしが

  

 

終わり。

ありふれた絶望

わたしは今日も、絶望が巻き散らかされたこの世のギリギリの淵を歩いている。ありふれた可愛らしい絶望が、ゴロゴロしている足元だ。

 

まず何より、毎朝起きるのがつらい。そもそもだ、此の世に毎朝起きるのが辛くない人間なんているのだろうか。否、いるはずがない。八月に入り、夏の盛りを迎えようとも、今日も今日とて、お布団の誘惑は深く深く甘美である。冷房設定温度28度の部屋の中で揺蕩うシーツの波は、わたしの全身を優しくぬるぬると足の指先まで包みこむ。もうわたしはここから一歩たりとも動きたくない。どうしてもだ。今日はもう、どうしても仕事に行きたくない。マジで。マジで仕事をサボる5秒前だ。これこそまさに、MS5です。わたしは、今わたしに誓おう。今日こそ仕事をサボってみせる。絶対に、絶対に地下鉄には乗るまい。仕事には行くまい。つらい。心底つらい。絶対に仕事には行くまい。まいまい。このまま速やかに二度寝をし、さらに三度寝をし、そうしてお布団に溶けていくのだ。ぼーっとした頭の端に、機械音が響いてくる。ああ、無情。ああ、無情なるスヌーズ機能。いやだがしかし、今日は行かない。ダメだ。行かない。ダメだ。行かない。ダメだ。さすがにもう起き上がらねば。あああああ、そうよ、この世は地獄だ。ズルズルとまるでゾンビのようにベッドから這い出る。そのままただ、ズルズルとズルズルと洗面所へ向かう。ただただ現世を呪い、絶望しながら蛇口を捻れば、ここでまたひとつ、絶望がパクリと口を開けて笑う。そう今朝も、髪型が壊滅的にキマらないのだ。

 

 

はあ〜〜〜〜ああああああ、ああああああもうさあああああああああ

明日、何着て生きていこうかあああああああああああああああああああ

本当にただの日記

日記を書きます。

 

 

日曜日。起きるとオットはすでに起床しており、ブログを更新したとのこと。ベッドマットレスを買いに行く予定だったので、身支度を整え、お出掛け。オットが自宅の出発予定時刻を明確に提示してくれることに感激する。「11時半出発です」計画的でわかりやすくて、素晴らしい。VERY妻っぽい服装。インドカレーランチ。隣の席のアパレル店員の会話と男子大学生の会話に気を取られる。三種類のカレーのうち、ホウレンソウのカレーが予想外な味で美味しかった。ナンが多く、残す。ホワイトデニムは無傷。化粧品売り場で、クレンジングだけ買おうと思っていたはずが、オットがトイレに行っていたので、ついつい口紅をタッチアップ。青味がかったけたたましいピンク色が、最近の「けたたましいピンク色の何かが欲しい!」という欲求とピタリと一致したため、勢いで購入。服や靴を買うよりずっと経済的であり、自画自賛。気持ちが華やぐ。ベッドマットレスも無事購入。結婚指輪が大きいため、ストッパーとして使える細い細いリングを買ってもらう。ホワイトデーである。嬉しい。それなのにその後、プラプラと歩いているうちに突然オットに因縁をつけてしまう。とりあえず怒るものの、己の左手の薬指が可愛いのを見て、機嫌を直すことを決める。オットからヤクザだと非難される。ヤクザであることを認める。スーパーに寄って餃子の具材を買い揃え、帰宅。帰宅後原稿を直す。気づけば2時間経っていたので無理やりひと段落させ、餃子を作る。とりあえずチューハイの缶をあけるところからスタート。2人でキッチンに立ち、交互に具材を刻んだ。包み方は断然、オットほうが丁寧で上手い。わたしの包み方は良く言えばダイナミック。悪く言えば雑。普通に言えば具が多い。具が足りなくなるとボヤくオットを尻目に相変わらずダイナミックに包んでいたら、皮が2枚余った。オットが嘆くので、クリームチーズでも包めばと提案。焼く。最高の離婚を観ながら、ハイボールと餃子。最高の離婚は、綾野剛さんがドンドン気持ち悪くなる。オットの眉間に白髪の眉毛を見つけるものの抜き損ねた。50個完食。米粉入りの皮の方が美味しかった。お風呂の入浴剤は奥飛騨。「岐阜へ行こう」とオットが言った。終わり。

週末に、大好きな友人の結婚式がある

わたしは、彼女の23歳の時の失恋も25歳の時の失恋も、とっても近くで見てきた。うーん、まあ他の失恋は割愛ノーカウントでいいよね。

 

共にああでもないこうでもないと、相手の男のことを言葉を尽くして罵って、共に真新しい傷を見て泣いて、共に治りかけた傷が膿んだときにも泣いて、共に百万の合コンへ赴いた。

二人で東京大神宮で願掛けもしたし、占いにも行ったし、カラオケで広瀬香美を熱唱したり、お見合いの反省会もしたね。散々飲んで食べて、一緒にたくさんたくさん泣いて笑ったね。

 

恋の死を、その痛みを、歯食いしばって耐えて耐えて乗り越えている姿も見てきた。

幸せになろう!って一生懸命な姿も、ちゃんと見てきた。

 

わたしは、幸せなときに側にいる友達が本当に大切な友達だと思ってる。

辛いときに側にいるのは、そんなのは当たり前のことだから。どんなに力になってあげたくても、側にいることしかできなかったけど、でもわたしが辛いときに貴女が側にいてくれて救われたように、少しでも支えになれていたらと思う。

 

苗字が変わった貴女は、恥ずかしそうにはにかんでいてとてもとても可愛かった。左手の薬指のダイヤモンドは夏の夜の金星のように煌めいて、まるで貴女と貴女の愛する人との未来を照らしているようだった。愛する人を見つめる貴女は、優しくて咲きほころぶ花のように可憐で、今まで見た中で一番綺麗だった。

 

大好きな人の奥さんになったんだね。よかったね。本当に本当によかったね。

 

ウエディングドレス姿を思い浮かべるだけで涙がこみ上げてきて、今から式が不安だけれど、きっとお姫様みたいに可愛いんだろうな。お祝いできることが、すごくすごく嬉しいです。