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賽の河原で待ち合わせ

死ぬまで、女をやる予定

ブログを書くということ

今書かなければ、もう二度と書きたくないと言って、二度と書くことがないであろう己の姿が見えるので、
箱詰めの地下鉄に揺られながら、今必死にスマホをいじっている。


筋トレをしている恋人を見るのが好きだ。
苦痛に顔を歪ませ、普段お行儀よく綺麗に配置されているはずの目や鼻や口が、元気いっぱいに散り散りになる。
軽やかに息を乱し、言葉にならない淡い喘ぎ声を上げる。最高にキュートだ。

これだけ聞くと、わたしがただのサディスティックな趣味な女のようだが、別にそうではない。
なぜなら筋トレは、誰かに強制されたわけでもなく、彼自身が自ら望んで行ってることだからである。何らかの他者からの介入が認められる苦しみを受け、辛がる様を喜ぶのが、悪趣味なサディスティックであろう。


自分で自分を痛めつける様は、一見ただただ愚かに見えるが、しかし実際は同時に己のやりたいことを叶えている。
今現在は小さな筋肉を、鍛えることによって大きくするということ。今はないのだから、プルプルと震える。苦しい。必死。ああなんて非力。

この少しの滑稽さと、苦しくてもやりたいことを遂行する強さとまじめさが、懸命な様をよりキュートに見せる。
わたしは苦しいことが苦手なので、恋人のそんなところにぎゅんと惹かれるのだ。



ブログを書くのはそれに似ているな、と思った。
ずっとずっと長い文章を書いてみたいと思っていたはずなのに、いざ書いてみるとそれはそれは気持ちが悪くて、顔が歪むほど苦しいものだ。
頭の中にうっすらあったはずのパーツを、結論の枠組みにたどり着けることも、順序だてて組み合わせることすらままならない。何にも吐き出せねえ。
これは困った。
まさに、自ら望んで行った行為に苦しんで、実に愚かなかんじが逆にキュート☆という、わたしの嫌いな筋トレそのものではないか。


わたしは苦しいことが嫌いであるから、筋トレをするのももちろん大嫌いである。
そんなわたしが息を切らして、腹筋20回に取り組む様を見ると、恋人はとても喜ぶ。キュートだと笑う。
そりゃそうだろうよ。



そんなわけでブログを書いていける自信は全くないが、こんな非力なわたしのキュートな筋トレに、今後も微笑みながらお付き合い頂けたら大変幸いである。