賽の河原で待ち合わせ

死ぬまで、女をやる予定

ぼくはボーダーが着れない

実はわたしは、ボーダーの洋服を一枚も持っていない。

過去に持っていたこともない。なので、大好きなテレビドラマ「カルテット」での“特別な関係に見えてしまうボーダーかぶり”には激しく憧れた。ものすごく羨ましかった。わたしも、是非ボーダーを着たい。ボーダーの服を着て、高橋一生との特別な関係を疑われたい。

少し前にクローゼットの中の大規模な断捨離を実行したのだが、その際、断捨離のススメを説いた様々な文章を参考にした。どれも一様に最低限のオシャレ必須アイテムとしてボーダーのトップスを挙げていた。季節も流行も着用者の性別すらも問わない、大変便利なアイテムである。別に色柄物のお洋服が苦手なわけではなく、他の“服の模様代表格”であるストライプのシャツやチェックスカート、水玉模様のワンピースは所持している。ボーダーだけが、買えずじまいなのだ。欲しいのか、欲しくないのかと問われれば、欲しい。あの、例のボーダーのトップスが欲しい。それなのに、わたしは今日まで買うに至っておらず1人悶々と苦悩している。

 

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ご存知の通り、ボーダーを素敵に着こなす人は社会に溢れている。だがしかし、そもそもボーダーという柄自体が可愛いのかが、わたしには疑問である。確かに、着ている人を見て、ああ可愛いな素敵だなとは思う。でも、そもそもボーダーが可愛いとかオシャレとかって何なんだろうか。ボーダーって、要はシマシマですよね???めっちゃ目立ちますよね???道行くボーダーを着てる人を見て、素敵だなと思う。思うけども、それは果たして本当にボーダーという柄の魅力なのか?その人が着こなしているというだけなのか?それとも、色形素材やボーダー具合(ピッチとか線の質感とか)によるオシャレさなのか?それがわからなくて、とにかく不安になるのだ。なんなの?ボーダーって、どこがどういうおかげで、可愛くオシャレに見えるの???なんで??てか、あれは本当に可愛いのか???わからなくて不安になる。ボーダーを見れば見るほど混乱してくる。

そもそもだ。そもそも、わたしは、自分にボーダー柄があまり似合わないように感じている。Instagramの#ootdには、#ボーダーラブ、#やっぱりボーダーが好き、とハッシュタグでボーダーへの愛を示すライフスタイルが一般化しており、#ボーダー族、#ボーダーズ、などというグループや民族を名乗ることもどうやらメジャーなようだ。それだけ多くの人が着こなすことができるらしいボーダーなのに、自分に似合っているのかどうか、正直判断しかねる。

わたしは実に多くのお店でボーダートップスを手に取ってきた。そして、鏡の前でスカした顔して顎下に当ててきた。いかにも「まあね、ボーダーのトップスはたくさん持ってるんですけどね。。でもついつい買っちゃいますよね、ボーダー。」くらいの風を装って、鏡の前で当ててみる。でもその度に、これ似合ってるんですかね?正解なんですかね?慣れですかね?これ本当に可愛いんですかね??と、誰に問いかければいいのかわからず、困惑してしまう。困惑したまま、涼しい顔で「まあ、正直ボーダーは結構持ってるしな〜」風を装って、棚に戻すというのをもう何年繰り返しているのだろうか。

 

これだけ顎下に当て続けていると、わかってくることもある。ひとくちにボーダーと一括りにしても、小柄なわたしにはピッチ細めのボーダーのほうが似合うこと、白黒のコントラストには顔が負けがちなので、茶色やネイビー、あえての赤ボーダーのほうが似合う。また顔はやや面長なので、襟首が丸首だと首が短く見えて野暮ったくなるためボートネックのほうがよい。さらにコーディネートのことまで言及するなら、ボーダーのロンTにデニム、コンバースというサラッとした着こなしは、わたしにはかなり難易度が高い。そういうナチュラルな着こなしは、ナチュラルな美人や顔がオシャレ人に似合うのであって、わたしのように昭和顔で、かつ丹念なメイクを施してどうにかこうにか造形を作り込むタイプの人間にとってそのナチュラルコーデは、とてもミスマッチに感じる。わたしは足が短く、デニムを履くならヒールでバランスを取らないとみっともないし、ボーダーのロンTは体を華奢に見せてはくれない。むしろ逆だ。ややゆるめのシルエットを選び、抜け感を出す必要がある。また、地味になりすぎないよう、アクセサリーや鞄などの小物で遊ぶべきだろう。

 

ここまできて、おわかりだろうか。ここまで、こんなにも考えて考えてボーダーのトップスを選んで着るわたし、めちゃめちゃ恥ずかしくないですか!?!?!?なんていうか、なんか、もう、こんなにも悩むことがあるにもかかわらず、それでもあえてボーダーを着ることを選択する意義とは何なんだろうか?もうさ、別にボーダーじゃなくてもよくない?と思ってきてしまうのだ。

わたしは、何故そこまでしてシマシマ模様を着たいのだろうか。シマシマ模様そのものが、素晴らしく可愛いと思っているわけでもないのに。それならばボーダーを着たいという願望の起因は、「ボーダーを着ている側の人間であると、見る人に思われたい」ということなんじゃないか。それでは、ボーダーを着ているとということは、見る人に対し「わたしは、「ボーダーを着ている側の人間であると、見る人に思われたい」と思っています!と主張をしている行為」と紙一重ではないか。怖い。

 

 

ボーダーのトップスを販売しているお店も多過ぎる。どこで買えばいいのかわからない。ボーダーのトップスを取り扱うブランドの選択肢があまりに多過ぎて、その選択の仕方に人間性まで透けてしまいそうな気がしてならない。どこのどんなボーダーを選び取ることで、どんな自分に見られたいかを察されてしまうことが怖い。

例えば、王道のセントジェームズを選んだとする。そうすると、世間からわたしは、とりあえずセントジェームズのボーダーさえ着ていれば正解、オシャレであるとドヤ顔でセントジェームズのボーダートップスを選んだ女だと思われるんじゃないか?と不安になるのだ。あるいは、ハイハイ、セントジェームズ着ればオシャレだと思ってるわけ?お前ごときが?と思われそうで怖い。数あるボーダートップスのなかから、わざわざセントジェームズのボーダーを選んだという理由を勘繰られたくない。
それではもういっそ、無印良品はどうだろう。しかし今度は、無印良品のボーダートップスというナチュラルかつ、大変ポピュラーなアイテムを、わたしなら多くの他人よりもオシャレに可愛く素敵に着こなせるという過剰な自信の表れから、それを選択したと思われるのではないだろうか。
では、ベイクルーズグループのブランドで見繕うのはどうだ。いやいや、それはそれでオシャレ感が強くないですか?めちゃめちゃInstagramのオシャレな主婦を目指していることがバレバレじゃないですか???

 

そういうわけで、わたしはこの夏もボーダーのトップスを買えていない。だから、どうにかして秋にはボーダーデビューを果たしたいと思っている。しかしボーダーというのは、やはりマリンルックを彷彿とさせる。マリンとか言われてもわたしは一切泳げないし、クルージングディナーでさえ船酔いするようなマリン性の欠片もない人間であり、そんなわたしが

  

 

終わり。